メールマガジンとして配信された文章)

おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。

放送大学の卒業研究を進めています。

7月19日にオンラインでゼミに参加し、研究の途中経過に対してゼミ生および指導教員からフィードバックや助言を受けることができました。

まもなくアンケート調査を実施する予定です。

今日のコンテンツは、リッカート項目(尺度)、です。

質問項目に対する回答者の意識や態度の程度を、段階的に評価する形式の選択肢群。

こう聞いて、次のようなものが思い浮かぶでしょうか。

  • 賛成
  • やや賛成
  • どちらともいえない
  • やや反対
  • 反対

このように、ある質問に対して、賛成と反対など対極関係にある選択肢を両端に配置し、その意見の強さを段階的に評価する形式の選択肢群のことを「リッカート項目」と呼びます。

1932年にアメリカの社会心理学者レンシス・リッカートが提唱したもので、彼の名に由来しています。

現在では、例示したような1つの設問に対する選択肢群のことを、便宜的かつ通称的に「リッカート尺度」と呼んでしまっています。

しかし、厳密には次のように定義されています。

  • リッカート項目:1つの設問に対する選択群
  • リッカート尺度:複数のリッカート項目のスコアを合成した尺度

最初に「リッカート尺度」ではなく「リッカート項目」と表現したのは、この定義に従ったからです。

本項ではこの定義に則り、以降も1つの設問に対する選択肢群のことを「リッカート項目」と表記して進めます。

今日は、このリッカート項目について書きたいのです。

擬似的な間隔尺度

リッカート項目における選択肢は決して固定的なものではなく、質問項目や尋ねたい意識の種類によって最適な語の選定(ワーディング)を、都度調査者(質問者)が行います。

たとえば満足度を尋ねたい場合には、

  • とても満足
  • やや満足
  • どちらともいえない
  • やや不満
  • とても不満

のようにすることができます。

この時、多くの場合、選択肢同士の間隔ができるだけ均等になるように語の選定(ワーディング)が行われます。

ところが、リッカート項目には
「選択肢同士の間隔が均等であること」
という制約は実のところありません。

リッカート項目は、尺度の分類上は順序尺度に含まれます。

順序尺度とは、選択肢に順序はあるが間隔が等しいとは限らないものです。

例えば、「非常にそう思う」から「ややそう思う」の距離と、「ややそう思う」から「どちらともいえない」までの距離が心理的に等しいかどうかは、一様には定まりません。

回答者の解釈や文化的背景によっても異なる可能性があり得るからです。

対して、項目同士の間隔が等しいものを間隔尺度といいます。

先に、
「多くの場合、選択肢同士の間隔ができるだけ均等になるように語の選定(ワーディング)が行われる」
と書きました。

心理的に等しいかどうかが一様には定まらないにも拘わらず、なぜわざわざそんなことをするのか。

それは、平均や分散を計算したいという調査者の実務上の意向があるからです。

リッカート項目は本来順序尺度ですが、

  • 項目(設問)数が大きい(4~5以上)
  • サンプル数が大きい(100以上)

のであれば、
「間隔尺度とみなしても実務上の誤差は小さい」
と言われています。

このことを前提として、条件を満たす場合にはしばしば
「擬似的な間隔尺度」
として扱われるのです。

裏を返せば、設問が1つしかない時に、リッカート項目の各選択肢を1~5のように数値化した上で平均値を出すなどの統計処理を施すことは、誤差の影響を受けやすいことから好ましからざる操作だといえます。

そして、やや回りくどくはなりますが、もう一度裏を返せば(1周回って)、回答の割合のみを評価するような単純な意図のリッカート項目であれば、その選択肢同士の間隔の等しさは「不問である」ということです。

しかしながら、「多くの場合、選択肢同士の間隔ができるだけ均等になるように語の選定(ワーディング)が行われ」ていることから、私たちはこれ――すなわち、選択肢同士の間隔が均等であることに慣れています。

ゆえに、間隔の均等さを無意味に欠いた選択肢を並べてしまうと、さらに半周回って、
「返って違和感を与えるおそれがある」
とも言えます。

というわけで、統計的な処理を施すか否かによらず、特別な意図がない限りにおいては、やはり「選択肢同士の間隔ができるだけ均等になるよう」に語の選定(ワーディング)を行う方が無難である、と言えそうです。

偶数か奇数か

前章で例示した2つのリッカート項目。

これらの選択肢の数はいずれも5つ、すなわち奇数でした。

ところが、この「奇数である」ということは、決して当然でも必須でもありません。

選択肢の数は偶数でもあり得るのです。

リッカート項目など、尺度における選択肢の数のことを「件数」と呼びます。

繰り返しますが、この件数は偶数でも奇数でもあり得ます。

リッカート項目においては偶数なら4、奇数なら5が最も多く選ばれる件数であり、その場合の呼称はそれぞれ4件法、5件法と名付けられています。

4件法、5件法にはそれぞれ長短所があり、どちらか一方に優劣があるとは一概には言えません。

4件法と5件法の最も大きな違いは、中立的な選択肢、すなわち「どちらともいえない」というものの有無だと言えます。

この違いは、回答データの分布や回答者の選択行動に影響を与えることが分かっています。

5件法の場合、回答者は「中立」を選ぶことが可能です。

よって、中間カテゴリへの回答が一定の割合で現れやすいことが知られています。

このとき、回答者が「中立」を選ぶ理由には次の2つが考えられます。

  1. 本当に意見や評価が中立である場合
  2. 「よく分からない」「関心がない」といった理由から消極的に中立を選択する場合

2)の理由で中間選択が行われると、調査結果の妥当性が損なわれるおそれがあると言えます。

したがって、中立肢を設けるか否かすなわち5件法にするか否かは、回答者の態度強度や理解度を踏まえて慎重に検討すべきであると言えます。

中立肢がなくても、両極へ均等に分散するとは限らない

4件法では、回答者は両極いずれかの立場に近い選択肢を選ばざるを得なくなります。

中立肢が無いことで、
「回答の分布がどのように変化するか」
については、過去の研究によって様々な知見が示されています。

たとえば、賛成や反対という両極の選択率自体には中立肢の有無による大きな差はないことが分かっています。

一方で、中立肢の有無によって、他の選択肢への回答比率に偏りが生じることも確かめられています。

奇数件(中立肢あり)と偶数件(中立肢なし)の尺度で用いて回答を集め、中立肢を除去した場合にその中立だった回答が隣接する選択肢に
「均等に振り分けられるか否か」
が検討されました。

そして、多くの項目で中立を除くと
「回答が一方に偏って移動する」
という現象が確認されました。

つまり、中立肢がないと、本来中立に集まっていたはずの回答が両極へ完全な均等として分散するとは限らず、場合によっては否定的な方向に偏って増える傾向も報告されています。

これは、中立回答ができない状況では、曖昧な態度の回答者が消極的な選択肢に流れやすいことを意味しています。

社会的望ましさのバイアス

質問の内容によっては、中立肢の有無は社会的望ましさのバイアスにも関連します。

特に若年層や低収入層など一部の属性でその傾向が顕著であり、中立肢の存在によって「反対」と明言することを避ける回答者が増え、結果として賛成寄りの回答が増えた可能性が指摘されています。

中立肢があることで、
「本音をぼかした回答」
が増えるリスクを示唆していると言えます。

同様に、日本人など文化的に婉曲な表現を好むグループでは、態度が曖昧なまま回答が終わってしまい、
「データが煮え切らなくなる恐れがある」
と指摘されています。

結果として、中立的回答が過半数を占めてしまうケースもあります。

このように、対象集団の文化的および心理的傾向によっても、中立肢の有無が調査結果に与える影響が左右されるため、中立肢を設けるか否かで得られるデータの意味合いが変わる点に、注意が必要です。

加えて4件法では、回答者が無理にどちらかを選ぶという負担も考慮しなくてはなりません。

中には、
「本当は中間なのに選べる選択肢がない」
という不満から、回答をスキップしたり無回答とする人も増える恐れがあります。

このように、中立的選択肢の有無は、

  • 回答データの分布
  • 回答者の選択行動
  • 回答率

に影響を及ぼすため、調査目的や対象によって慎重に使い分ける必要があります。

文量が多くなったので、今日はこの辺りで一旦終了します。

次週は続きとして、4件法、5件法それぞれの長短所の検討から始めたいと思います。

◇今日の気づき

(リッカート項目では)
できるだけ等間隔になるよう語を選定する
中立肢の有無の使い分けには慎重さが必要

◇この文章の入口(参考)

設計と処理の話(右下/右上)から、言い切れない意味の層(左上)へ


この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面を整える工程(lapi-schutto.jp/before-the-talk)に関わる中で書かれています。

この文章を読んで、

話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感

が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。

そのための場所を、別に置いています。

結論の前に