(メールマガジンとして配信された文章)
おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。
現在、過去389本のメルマガの分析を進めています。
今日のコンテンツは、場の調整役、です。
今日は、メルマガ分析の途中ではあるものの、その一環として、最近感じていることを書きたいと思います。
現在の私の仕事において、結果として
「場の調整役」
を担うことが多い、と感じています。
その立場を求められる場合もありますが、自然とそうなっていく、という方がむしろ近いです。
空気の流れを察知して言葉を置く。
私がしているのは、そんな
「場の空気の翻訳」
のような仕事です。
ずいぶん前から似たようなことをしてはいたものの、かつての私は
「場を支配しよう」
という意識が強すぎました。
まったく独りよがりで、ただの自己満足でした。
また、その場において交わされる言葉のみを扱っていました。
しかも表面的に。
発している人らの内面が見ないままに、その場が納まること(だけ)を目指すので、私の態度はより説得的になりました。
はっきりと「いつから」とは言えませんが、場に対する私の臨み方やあり方が変化してきました。
今の私は、表面的な言葉を受け取りつつ、その奥にある主張(思い)に触れています。
私自身と場との距離が以前に比べて離れた感覚。
「空気を読む」
というより
「空気に触れてしまう」
という感覚です。
無言でその場の居ることの価値を肯定的に捉えられるようになりました。
以前は、そうは捉えられず、無言でしかその場に居られない自分を情けなく感じたこともありました。
その場を支配しようとする私には、
「向かわせん」
とする方向が見えています。
そして、かつての私は、実際にその方向へ場を主導していました。
向かうべき方向の1つが見えること自体は今も変わっていません。
しかし、今は次の前提に立っています。
- その方向は1つに過ぎず、
- 向かい得る方向は他にもある
- どれが最善かは明確でなく、
- どれが最善かの判定権を私は独占していない
「どうするか」
という制御的な思考に陥りがちだった私が、
「どうなるか」
という観察的な態度で遷移を見つめられるようになりました。
無言でその場の居ることの価値を肯定的に捉えられるようになったのは、この遷移を見つめる観察的な態度に、心地良さを感じられているからかもしれません。
◇今日の気づき
「どうなるか」という観察的な態度
無言でその場の居ることの価値を肯定する
◇この文章の入口(参考)
感覚(左下)を起点にしつつ、場での振る舞い(右下)を経て、意味(左上)へ
この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面を整える工程(lapi-schutto.jp/before-the-talk)に関わる中で書かれています。
この文章を読んで、
話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感
が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。
そのための場所を、別に置いています。
