メールマガジンとして配信された文章)

おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。

現在、過去389本のメルマガの分析を進めています。

今日のコンテンツは、思考のベクトル、です。

2週前のメルマガのおさらいから再開します。

389本のメルマガを次のように分析しました。

  • 動詞が示す要素である「向き」を用いて次の2つの軸を立てる
    • 内化(左)↔外化(右)
    • 抽象(上)↔具体(下)
  • メルマガ本文に登場する各動詞に、この2軸に沿ったスコアを付ける
  • メルマガ1本に出現する動詞群のスコアの平均をとり、座標上にプロットする

すると、389本のメルマガが次の4つの象限に分散していることがわかりました。

内化×抽象│外化×抽象
───────────
内化×具体│外化×具体

これらのラベルを意味的に変換すると、例えば次のようにできます。

構造化・設計│体系化・表現
─────────────
感受・共鳴 │行動・実装

あるいは、このようにも表現できます。

観念│言語
──────
感情│非言語

今日は、この続きです。

思考の上下移動

次に、プロットした点同士を時系列に結んでみる、という分析をしました。

すると、同じ象限内の動きはもちろん、象限を跨いだ動きがあることが分かりました。

時間的に前の点を始点、後の点を終点とすると、両者を結ぶ線は、向きと長さを持つことになります。

これを「思考のベクトル」と呼ぶことにします。

まずは、上下を考えてみます。

上下は、抽象↔具体、です。

これをもう少しかみ砕くと、こんなイメージでした。

  • 上=抽象(概念、構造、意味)
  • 下=具体(現場、体験、感覚)

これはあくまで思考の内容の性質です。

無論、優劣はなく、いずれも必要な思考の位置です。

ここからベクトルとしての動きを加えてみます。

下から上に向かうのが具体から抽象、上から下に向かうのが抽象から具体、です。

すなわち、上下の移動を繰り返すとすれば、
「抽象と具体を行き来する」
ということです。

この思考の移動は自覚的にもよくやっていることです。

ただし、実際にこの上下移動を、特に高速で行おうとする場合には、姿勢(モード)の切り替えが伴っているようだと気づきました。

あくまでも私の場合ですが、たとえば、具体(下)へ降りるときには、現場の空気、相手の言葉、その場にしかない温度など、そうしたものを“ただ受け取る”という感覚があります。

言うなれば、頭の中で整えようとする前に、
「まずは、そう感じてしまう自分を許す」
というあり方。

これは、どちらかというと受動の姿勢(モード)です。

逆に、抽象(上)へ上がるときには、散らばった情報や感情の断片を、ひとつの構造や意味として“形にする”という感覚があります。

下への対比でいえば、このときは
「自分が構造をつくる」
というある種の能動の姿勢(モード)が発動しています。

この受動と能動の姿勢(モード)の切り替えが思考の上下移動を支えているのではないか、ということです。

思考ではなく姿勢(モード)の切り替え

この受動と能動に切り替わる主体を、「思考」ではなく「姿勢(モード)」としたのは、次のようの理由からです。

たとえば、誰かの困りごとを聞くときや、議論がこじれかけているときなどの場面に、私が立ち会っているとします。

その場に居るのは、
「頭で理解しようとする私」
を包み込むかのうように振る舞う
「身体で空気を受け取り、揺らぐ私」
です。

かつては、
「頭で理解しようとする私」
が強く出過ぎることもしばしばありました。

しかし、特に昨年あたりから、先にも書いたような
「身体で空気を受け取り、揺らぐ私」
を許し、受け入れられる(そのままにしておける)ような実感を味わっています。

この姿勢(モード)になって初めて具体の層が開きます。

逆に、困りごとを構造化して組み直すときや、明確な決定をする必要があるときなどの場面で発動しているのは、
「感覚を観察可能な形に整理し直す私」
です。

今度はこの姿勢(モード)が抽象の層を押し上げます。

このように思考の上下移動は、
「具体化または抽象化しようという意図に基づくもの」
というよりもむしろ
「姿勢(モード)の切り替えの結果」
という方が今となってはしっくりくるのです。

能動と受動の姿勢(モード)の界面

すると、姿勢(モード)の切り替えが、たとえば呼吸のようにスムーズであれば、その分、抽象と具体の行き来も柔軟かつ高速になる、といえます。

抽象と具体の2象限が別世界ではなく地続きになる、という感じです。

では、この切り替えがどのように起きているのか。

繰り返しになりますが、あくまでも私の場合の話です。

姿勢(モード)は、上→下が受動で、下→上が能動でした。

字義どおりに扱えば能動よりも受動の方が
「比較的入りやすいモード」
だといえそうです。

ここで私の場合、
「受け取って、ハッとして見えてしまう」

「見えてしまって、言葉があふれる」
など、上(抽象)に向いながら、ある種の受動的な感覚を味わってもいます。

下に向かう受動が
「外界から私の中に流れ込む」
のだとしたら、上に向かう受動は、
「私の深層から意味として表面に湧き上がる」
という感じです。

そして、受動の力(ベクトルの長さ)を観念できるとしたら、下に向かう受動よりもむしろ上に向かう受動の方が大きいことが、私の特徴なのではないかと思います。

では、上(抽象)に向かう私の姿勢(モード)は、能動なのか受動なのか。

どうやら、
「いずれでもあるらしい」
というのが分析の結果です。

上に向かう能動と受動は、次のようにまとめられます。

●上に向かう能動:

  • 構造化しようとする
  • 言語化しようとする
  • 枠組みを設計する

●上に向かう受動:

  • 意味が勝手に組み上がる
  • 言葉があふれ出る
  • 視界が開けてしまう

つまり、上に向かう受動は、
「能動と受動の姿勢(モード)の界面のようなもの」
だといえます。

まとめるとこんな感じです。

下に向かう受動:世界をそのまま感じ取る
上に向かう受動:意味が勝手に立ち上がる
上に向かう能動:意味を構造や言葉にする

そこで、思考の4象限を次のように描き直すこととします。

内化×意味│外化×意味
───────────
内化×感取│外化×感取

次週に続きます。

◇今日の気づき

思考の上下移動は、姿勢の切り替えの結果
上に向かう受動は、姿勢の界面のようなもの

◇この文章の入口(参考)

感覚(左下)から、意味(左上)へ


この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面を整える工程(lapi-schutto.jp/before-the-talk)に関わる中で書かれています。

この文章を読んで、

話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感

が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。

そのための場所を、別に置いています。

結論の前に