メールマガジンとして配信された文章)

おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。

現在、過去389本のメルマガの分析を進めています。

今日のコンテンツは、思考のベクトルその3、です。

先週は、思考の4象限を次のように描き直して終えました。

内包×意味│外展×意味
───────────
内包×感取│外展×感取

2週に渡って思考の上下移動と左右移動について考えてきましたが、今日は、少し違う角度から、この思考のベクトルを探ってみたいと思います。

『舟を編む ~私、辞書つくります~』というドラマが好きで、NHKオンデマンドで繰り返し視聴しています。

三浦しをんによる小説『舟を編む』を原作とするもので、映画、アニメに続く、3番目の映像化作品です。

映画とドラマしか観ていません(原作も読んでいません)が、私には映画よりもドラマの方がしっくり来ました。

「言葉とは何か」
を見つめ直すきっかけを潤沢に提供してくれるからだと思います。

それでも言葉にしてください

本作(ドラマ版)のあらすじは、次のとおりです。

自社初の中型辞書『大渡海(だいとかい)』を完成させるまでの、辞書編集部員たちの奮闘物語。

ファッション誌編集者の岸辺みどりは、担当誌の廃刊に伴い、突如同社の辞書編集部に異動となる。

そこは、ぼさぼさ頭で超生真面目な上司を筆頭にくせ者だらけの場所だった。

彼らに翻弄されながらも、一冊の辞書を十数年かけて作る根気と熱意に触発され、みどりは次第に自らも言葉の魅力を発見し、辞書編さんの仕事にのめり込んでいく――。

ちなみに、原作や映画では主人公である上司の馬締(まじめ)光也ではなく、岸辺みどりの視点で描かれているところが、ドラマ版の特徴の1つです。

第2話では「恋愛」の語釈に「異性」や「男女」という言葉が必ず使われていることに、みどりが違和感を覚えます。

説明を求められ、それに応じようとするも、思うように違和感の正体を伝えられず、
「すいません、なんか上手く言葉にできなくて……」
と尻込みするみどり。

そんな彼女を、馬締は次の言葉で奮い立たせます。

上手くなくていいです。
それでも言葉にしてください。

今、あなたの中に灯っているのは、あなたが言葉にしてくれないと消えてしまう光なんです。

この後、みどりが絞り出した言葉をきっかけに、「恋愛」の語釈は再考され、3年の観察期間を経て『大渡海』に採用されることになります。

この過程で、『大渡海』の監修者である日本語学者の松本は、次のようにみどりを称えます。

岸辺さんが言葉にしてくれたおかげであなただけに見えていた光がみんなの灯台になったんです。

「恋愛」の語釈についてのやりとりで登場するこの2つ台詞。

これらが扱う概念は、本作を貫く重要な軸の1つであり、ゆえに私の印象に強く残っています。

4象限間の遷移で考える

ドラマで描かれた“言葉になる過程”を4つの象限間の遷移に重ねると、次のようにできます。

右下(外展×感取)→左下(内包×感取)→左上(内包×意味)→右上(外展×意味)

1つずつ区切りながら見てみましょう。

■まず、受け取ってしまう(右下→左下)

辞書を引いたこと(外展×感取)をきかっけに揺れ始めた「恋愛」の語釈への違和感を、みどりは必死に見極めようとして(内包×感取)いました。

まず世界の揺れを受け取り、立ち止まり、そして内側に沈める。

私の場合も、思考の初動の多くがこの、右下(外展×感取)→左下(内包×感取)という遷移です。

相手の言葉や空気感がそのまま入り内側で揺れて沈む。

身体が反応するのです。

■意味が勝手に立ち上がる(左下→左上)

作中のみどりは、失恋という経験を通して自身や相手の想いと向き合った結果、ある瞬間に「これだ」という閃きを得ます。

意図してそうなるというよりも、内側で何かが自然に組み上がるような感覚です。

沈んでいた揺れが、ある時点で静かに輪郭を持ち始める。

私にとっての「上に向かう受動」であり、左下(内包×感取)→左上(内包×意味)という姿勢(モード)の切り替わりです。

構造が見えてきて、意味が勝手に立ち上がる。

換言すれば、意味が向こうからやってくるような感覚です。

■言葉という出口に向かう(左上→右上)

閃きを元に推敲を重ね、みどりは「恋愛」の語釈を書き上げます。

内側で揺れていた違和感が、世界へ向けた「ひとつの形」になった瞬間です。

私にとってのこれは、思考の循環の最後の段階であり、左上(内包×意味)→右上(外展×意味)という遷移です。

内側で組み上がった意味を、他者に届く形へと変換する。

この「出口の工程」が言語化です。

言葉にこだわる

ドラマで描かれる辞書づくりは、単なる作業を超えた持続する熱意の営みでした。

世界の気配と格闘し、揺れと向き合い、その揺れを言葉として世界へ送り返す営みでした。

外の波を受け取り(外展×感取)、内側で深く響かせ(内包×感取)、意味が立ち上がり(内包×意味)、言葉として開く(外展×意味)。

私が言葉にこだわるのは、私にとっての思考の円環の出口が右上(外展×意味)だからかもしれません。

外に返すことで環が閉じる。

外に返すことで揺れが意味として共鳴する。

そしてまた、外から波を受け取る。

これを繰り返すことが、私の業(ぎょう)であり、私にとっての思考そのものなのだと思います。

上手くなくていい。
それでも言葉にする。

ただ、内側に沈む揺れを立ち上げ、立ち上げた意味を言葉として世界に開く。

言葉は、私が世界に触れ、そして世界に返すときのカタチなのかもしれません。

◇今日の気づき

外に返すことで揺れが意味として共鳴する
言葉は、世界に触れ、世界に返すカタチ

◇この文章の入口(参考)

出来事(右下)で生じた違和感が、感覚(左下)を経て意味(左上)に入ってきた通路

◇編集後記

コンテンツの終章で
「言葉にこだわる」
と書きました。

この「こだわる」という動詞も『舟を編む ~私、辞書つくります~』の中で取り上げられている語の1つです。

代表的な語釈は次の4つ。

  1. 心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。
  2. 普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。
  3. 物事がとどこおる。障る。
  4. 他人からの働きかけをこばむ。なんくせをつける。

ドラマでは、1)3)4)などのネガティブな語義を「本来の意味」とした上で、「匠のこだわりの一品」のような 2)の好意的な用法を、登場人物に「俗用」と言わせています。

この「俗用」について、馬締は次のようにその想いを語ります。

(「俗用」とは)本来の意味とは違う使われ方が広まり、そちらの意味の方が一般的になった言葉の使われ方です。

『大渡海』では極力「誤用」という言葉は使いたくないんです。

人に使われることによって形や役割を変えていく。

言葉というのは生き物ですから。

この場面を観て、私も「誤用」ではなく、「俗用」という表現を使いおうと思いました。

そして言葉には、本来の意味ではなく、俗用の意味でこだわりたいと思います。


この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面を整える工程(lapi-schutto.jp/before-the-talk)に関わる中で書かれています。

この文章を読んで、

話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感

が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。

そのための場所を、別に置いています。

結論の前に