(メールマガジンとして配信された文章)
おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。
現在、過去389本のメルマガの分析を進めています。
今日のコンテンツは、思考のベクトルその5、です。
4週に渡り、思考の上下移動(意味↔感取)、左右移動(内包/外展)、そして遷移や言語化について書いてきました。
これらは、次のようにまとめられます。
■思考の4象限
内包×意味│外展×意味
───────────
内包×感取│外展×感取
■思考の遷移パターン
右下→左下→左上→右上
外の波を受け取り(右下|外展×感取)、内側で深く響かせ(左下|内包×感取)、意味が立ち上がり(左上|内包×意味)、言葉として開く(右上|外展×意味)。
この遷移パターンは、思考の4象限を巡る私の1つの典型です。
ここまでは先週と全く同じ書き出しです。
最近「叱られる」ということが重なりました。
勤務している仕事の場面と、指導を受けている研究の場面です。
内容はそれぞれ異なりますが、共通しているのは私の判断や姿勢に対して、
「明確な指摘が向けられた」
という点です。
かつての私であれば、このような「叱られる」という場面ではひどく消耗していました。
「自分を否定された」
「評価されていない」
こんな意味づけが先に立ち上がり、その枠組みの中で考え続けてしまう。
結果として、思考全体が重くなっていたことでしょう。
先週の話でいえば、
「左上(内包×意味)での硬直の滞在」
をしてしまう、ということです。
一方最近の経験では、自分の反応がかつてのそれとは明らかに違うことに気づきました。
叱られても落ち込み過ぎない。
それどころか、
「これはありがたい」
「今、教えてもらえているな」
と思える瞬間が増えています。
今日はこの変化を、これまで書いてきた4象限の視点で眺めてみます。
かつての私の遷移
「叱られる」という出来事そのものは、まず外からやってきます。
相手の言葉、その場の空気、少し強めのトーン。
このとき、思考は右下(外展×感取)にある、といえます。
かつての私は、右下でこの刺激に触れた瞬間、次のようの意味付けが先行していました。
- 否定された
- 価値がない
- 期待に応えられていない
こうした意味が反射的な反応として組み上がる。
ひと言でいえば
「自分はダメだ」
という解釈です。
これは、右下(外展×感取)から左上(内包×意味)への遷移です。
感取を十分に味わう前に意味が固まってしまい、その結果、内側でぐるぐると回り、苦しさが長引いていました。
まさに左上での硬直の滞在です。
今の私の遷移
では、今の私はどうか。
思考の遷移パターンのとおり、右下から(左上の前に)まず左下に遷移するようになりました。
右下で叱られ、左下へ向う。
つまり、外展×感取で受け取った刺激を、一旦、内包×感取に沈める、ということです。
- 今、何が起きているか
- どこが引っかかるか
- どの言葉に反応しているか
意味付けを急がず、揺れとして内側に留める。
このワンクッションが、とても大きいようです。
左下(内包×感取)に沈んだ後、意味がゆっくりと立ち上がります。
- ここは確かに修正が必要だ
- 指摘は全く妥当である
- とても真剣に伝えようとしてくれている(成長を望み、期待してくれている)
- ありがたく、恵まれている
- 次はこうしよう
- やり方を改善しよう
立ち上がる意味は「否定」ではなく「情報」や「示唆」に近い。
同じ叱責が起点でも、左下を経由するか否かで立ち上がる意味がまるで異なります。
左上で意味が整うと次は右上に向かいます。
感謝を言葉で伝える。
改善を示す。
右上(外展×意味)が「自己弁護」ではなく「次の行動の出口」になる。
叱られるという出来事は、消耗ではなく循環の一部なのです。
とはいえ、右下→左上という遷移が完全になくなったわけではありません。
指摘を受けた瞬間に
「自分はダメだ」
という解釈が反射的に浮かび上がることはしばしばです。
かつてとの違いをより詳細に捉えるならば、
「意味に拘泥せず、一旦、感取に戻れるようになった」
ということかと思います。
愛知での主治医が教えてくれた
「心のねばり」
という言葉を思い出しました。
◇今日の気づき
自己弁護ではなく次の行動の出口になる
意味に拘泥せず感取に戻れるようになった
◇この文章の入口(参考)
出来事(右下)から、意味がほどける場所(左上)へ
この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面を整える工程(lapi-schutto.jp/before-the-talk)に関わる中で書かれています。
この文章を読んで、
話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感
が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。
そのための場所を、別に置いています。
