結論を出すこと自体が必要になる場面があります。
判断を急がなければならない状況が現実には存在します。
それでも私は、
結論に入る前の時間を、意図的に取る
ことがあります。
話が噛み合わなくなっている場では、
結論が出ないのではなく
話が成り立つための前提が揃っていない
ことが多くあります。
何を事実として見ているのか。
どこまでを前提として話しているのか。
その確認が飛ばされたまま、判断だけが求められる。
そうした場に、何度も立ち会ってきました。
前提が共有されないまま出された結論は、
その場では機能しても、後から別の形で歪みが出ることがあります。
決め直しが必要になる。
関係が壊れる。
同じ議論を、別の場所で繰り返す。
私は、それを「判断が間違っていた」とは考えません。
判断に入る前の工程、もっと言えば話を始める前の工程が、途中で置き去りになっていただけ
だと思っています。
だから私は、
無理に結論へ進む代わりに、
「いま、何が共有されていないのか」
「どこで言葉がすれ違っているのか」
「誰が、何に引っかかっているのか」
これらの問いを、一度、場に戻すことを選びます。
結論を急がない、という態度は、判断を先延ばしにすることではありません。
むしろ、
後から壊れにくい判断にするための時間
だと考えています。
それでも、このやり方が合わない場合もあります。
すぐに答えが必要なとき。
工程よりもスピードが優先されるとき。
その場合は、別の支援のほうが適していることもあります。
ここに書いているのは、「こうすべきである」という主張ではありません。
私が、これまで立ち会ってきた場で、自然に選んできた態度についてです。
合う人もいれば、合わない人もいる。
それで構わないと、今は思っています。
(小さな注記)
もし、「結論を急がない」という言葉に違和感や引っかかりを覚えたなら
それ自体が、今立っている場所を測る手がかりになるかもしれません。
この姿勢が、どんな場で使われてきたのかは、別のページに断片だけ置いています。
※この関わり方について、よくある誤解や前提の整理はこちらにまとめています。
