意見は出ているのに、なぜか話が前に進まない。

論点は整理されている。
必要な情報も揃っている。

それでも「決めよう」とした瞬間に、空気が重くなる。

会議や打合せなどの場で、
そう感じたはことはないでしょうか。

この状態は、
誰かが怠けているからでも、
判断力が足りないからでもありません。

多くの場合、

責任の所在が共有されないまま話が進んでいる

というズレが起きています。

このページでは、

話の手前で何が起きているのか

を整理します。

“決める人”が決まっていないまま、進んでいる

話が噛み合わない場では、
しばしば、次のような状態が見られます。

  • 誰が最終判断をするのかが明示されていない
  • 立場上の“決める人”はいるが、裁量の範囲が共有されていない
  • 「最終的には◯◯さんが決めるのだろう」という暗黙の了解だけがある

この状態では、
参加者全員が、どこかで様子を見ています。

誰かが決めるのを待っている。

けれど、その「誰か」が誰なのかは、はっきりしない。

結果として、

意見は出続けているのに、判断だけが宙に浮いたままになります。

責任の置き場が揃っていないと、判断は止まる

判断には、必ず責任が伴います。

しかし、責任の置き場が共有されていない場では、
判断すること自体が、無意識に避けられます。

たとえば、

  • 決めた結果が上手くいかなかったとき、誰が引き受けるのか分からない
  • 「なぜその判断をしたのか」と、後から個人が責められそうだと感じる
  • 判断が、能力や覚悟の問題にすり替えられそうな空気がある

こうした感覚があると、
人は自然と慎重になります。

これは、責任逃れではありません。

責任の前提が曖昧なままでは、判断はしにくい

のが自然なのです。

「決断できない」は、能力の問題ではない

話が止まると、
つい次のように考えてしまいがちです。

  • 決断力が弱いのではないか
  • リーダーシップの問題ではないか
  • 覚悟が足りないのではないか

けれど実際には、
判断できない理由は、能力以前にあります。

  • どこまで決めて良いのか分からない
  • 引き受けられる責任の範囲が見えない
  • 他の誰かの領域を侵してしまいそうだと感じている

この状態で「決めてほしい」と求められると、

人は立ち止まってしまいます。

無意識の、責任回避あるいは過剰引き受け

責任の所在が曖昧な場では、
次のまるで正反対の反応が、同時に起きやすくなります。

  • 誰も決めようとしない
  • ある一人が、必要以上に責任を引き受けてしまう

前者は、無意識の責任回避であり、

対して後者は、無意識の過剰引き受け、と言えるでしょう。

どちらも、
個人の性格の問題というより、

場の前提が揃っていないことから生まれる反応

だと思います。

この状態が続くと、

  • 話し合いは長引き、
  • 疲労が溜まり、
  • 「もういいから進めよう」という空気が出てくる

そして、責任の整理がなされないまま、
判断だけが先に進んでしまうこともあります。

ここで扱っている工程

ここで扱っているのは、

「誰が悪いか」

を探す話ではありません。

もっと手前の、

  • 誰の判断なのか
  • どこまでが誰の責任なのか
  • 判断してよい前提が、場で共有されているか

という工程が、

言葉にされないまま、飛ばされている

という状態です。

この工程が整わないと、

動いているように見えても、実際には話は動きません。

このページの位置付け

このページは、

「責任は誰にあるべきか」

を決めるためのものではありません。

また、

誰かに判断を押し付けるためのもの

でもありません。

ただ、話が噛み合わないとき、

その原因が能力ではなく、
責任の所在のズレにあるかもしれない

そう立ち止まって眺めるための場所です。

ここで終わっても、構いません。

責任の前提を一度言葉にできただけでも、

次に話すときの地面は、

少し変わります。

立ち止まるための場所

もし、「話が始まる前の工程」について、もう少し言葉を見てみたい、と感じたら、別のページにその話を書いています。

このズレは、結論の前に扱われるべき工程の一つです。

結論の前に

このような状態は、複数の場面で観察されます。

立ち会ってきた場

話の地面

無理に進む必要はありません。

必要だと感じたときにだけ、辿ってください。

(補足)

「話が噛み合わない」と感じること自体は、失敗でも、能力の問題でもありません。

多くの場合、

まだ扱われていない工程が残っている。

それだけのことです。