(メールマガジンとして配信された文章)
おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。
気づけば5月。
今年も3分の1を過ぎました。
活き活きとした新緑に、豊かなエネルギーを感じています。
今日のコンテンツは、手すり1本運動、です。
「優しい人々、冷たい街~手すり1本ですっかりユニバーサル~」
このウェブ記事のタイトルに、思わず目が止まりました。
パーキンソン病に罹患したジャーナリストの手記でした。
障害者である自身の目線から、
「人々は優しいが、街は冷たい」
という主張を展開するものでした。
そして最後に著者が提案するのが「手すり1本運動」。
街のバリアフリーは、
「トイレや廊下に手すりを1本取り付けるところから始めよう」
というものでした。
細かな点はさておき、私は著者のこの提案に大いに賛成します。
水道工事の仕事を離れて約1年半。
大きく減っていたトイレやその手すりについて考える機会を、この記事のおかげで久しぶりに得ることができました。
手すりが1本付いているだけで良いのに
「モノの価値というのは、万人に共通に理解されるものではない」
バリアフリーのような概念を取り扱うとき、難度を上げている原因の1つが、この事実です。
トイレの手すりの価値を、それを必要とする人と同じ程度に理解するには、学習するよりほかありません。
著者は手記の中で、この学習の機会を次のように私に提供してくれています。
パーキンソン病の場合、ゆっくり座ったり立ったりするのが、とても苦手になる。けれど手すり1本あれば、この動作がかなり楽になる。
(中略)
多目的トイレは、ある程度の規模の駅や商業施設ではずいぶん整備されてきた。ところが、俺のような中途半端な身体不自由者にとって“ちょうどいい”トイレがなかなか見つからない。手すりが1本付いているだけで良いのに。
私は、かつて受講した福祉用具や排せつケアの研修での座学や体験学習を通して、それなりに理解しているつもりでした。
しかし、この
「手すり1本付いているだけで良い」
という表現を目にした時、その理解が、未だ表層を漂っている程度の浅さであったことに気づきました。
言葉を換えれば、どこか他人事(ひとごと)であり、主体的に向き合っていなかった。
まるで釣り鐘の音が、ゴーンと耳元で大きく響くように、そのことを思い知らされたような感覚でした。
「少々、大袈裟ではないか」
そう思われるかもしれせん。
それほどにショックを受けたのは、私に、次の記憶があるからでした。
気がついた「意識の切り替え」
正確には覚えていませんが、おそらく今(2025年5月)から7、8年前のことだったろうと思います。
私は、あるパラスポーツ選手から直に話を聴く機会に恵まれました。
その選手は日常的に車いすを利用していました。
賃貸物件の住まい探しから、遠征先のホテルに至るまで、主にトイレにまつわる苦労や実状をその方は私たちに、具体的に教えて聞かせてくれました。
ひと言で言えば、
「使えるトイレが少なすぎる」
という話でした。
たとえば住まい探しなら、何をさておいても、まずはトイレを見る。
他の条件がどれだけよくても、自分にとって“使えるトイレがある部屋”でなければ、
「(その時点で)選択肢に入らない」
と言うのです。
そして、当時その瞬間に、私はあることに気がつきました。
それは、私を含むトイレ空間を作ることに携わるほぼ全ての人が、当然のように行っていた意識の切り替えの存在でした。
私たちトイレを作る専門家は、設計者も、製造者も、工事の施工者も皆、障害者用のトイレを一般用と区別し、都度意識を切り替えていたのです。
「よし、今回は障害者用のトイレをつくるぞ」
という具合です。
少なくとも私自身がそうであったことに、当時その瞬間に、私は気づきました。
そして、
「この意識の切り替えを、できる限り手放したい」
と、私は思いました。
すなわち、常に同じ
「誰もが使いやすいものにする」
という意識でトイレを作ることを目指したい、と。
今思えば、ずいぶん大層なことを考えたものです。
偉そうなことを思った割には、それ以降今日までに、取り立てた成果を残せたわけではありません。
著者の「手すり1本運動」という提案は、私が目指したトイレ作りの意識の切り替えを手放すことと軌を一にするものです。
しかし、何もしていない私と大きく異なるのは、具体的で分かりやすい、かつ説得力のある提案をしていることです。
過去の記憶、この間の成長、理解の浅さ等、著者の手記のおかげで、様々なことに気づくことができました。
頼ること、分解すること
2025年4月22日配信の第364号で、次の気づきを書きました。
- 不足している能力は、補えば良い
- 分解する力は、みんなで生きる力である
今回の気づきも、同じくこの2つに集約される内容です。
私が何もできなかった(しなかった)原因の1つが、対象を大きな塊で捉えたままだったことです。
「全てのトイレを誰もが使いやすいものにする」
これは塊として大き過ぎました。
著者の提案する「手すり1本運動」は、この塊を分解したものだといえます。
手すり1本は無論ゴールではありませんが、全てのトイレに手すりが付いていることが当たり前になったとしたら、とんでもない前進です。
また「手すり1本運動」を思い付く能力が、少なくとも当時の私にはありませんでした。
そして、それ以上に私に欠けていたことは、補うために誰かを頼るという意識と能力でした。
これに気づけたこと、そして、この意識と能力を少しずつ身に付けられたことは、妻の裕加里と多くの友人のおかげです。
◇今日の気づき
意識の切り替えをできる限り手放したい
頼ることと分解することは生きる力である
◇引用・参考文献一覧
原英次郎(2023年8月22日)「優しい人々、冷たい街~手すり1本ですっかりユニバーサル~」『ダイヤモンド・オンライン』ダイヤモンド社
https://diamond.jp/articles/-/364272
◇この文章の入口(参考)
現場の出来事(右下)と引っかかった感覚(左下)から、意味(左上)へ
この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面に立ち戻る中で書かれています。
この文章を読んで、
話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感
が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。
そのための場所を、別に置いています。
