メールマガジンとして配信された文章)

おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。

全国的に春の陽気が一気に訪れ、熊本では3月23日にソメイヨシノの開花が宣言されました。

そんな麗らかな春の日曜、私は所属する「くまもと防災士会」の研修ツアーに参加しました。

今日のコンテンツは、記憶との向き合い方、です。

平成28年熊本地震の発生から、来月で9年が経ちます。

当時愛知在住であった私は、この地震を直接的には経験していません。

しかし、同じ年にトイレ防災の啓発活動を始め、被災を経験した者と家族になり、さらには当地に移り住んだことで、私はこの地震への経験を日々重ねています。

事象を直接的に記憶していない私が、過去の災害を経験する上で頼れるものは、伝承される記憶のみです。

トイレ防災の啓発活動を始めた当初は、自分に災害経験がないことを半ば後ろめたく感じていました。

しかし、あるものと出会ったことで伝承される記憶を通した災害経験の存在に、肯定的に気づくことになりました。

“あるもの”とは、新聞の縮刷版です。

出会った場所は、東京都千代田区にある防災専門図書館でした。

2017年4月、この場所では「熊本地震から1年」という特別展示が行われていました。

今思えば、この時から熊本地震に縁がありました。

発災から数か月間の関連記事をまとめた新聞各社の縮刷版。

これを手にとったことで、文章という伝承方法を知りました。

それから先は芋づる式。

検索しては読み、さらに検索しては読む、という日々を約1か月間続けました。

この時の経験が、トイレ防災の啓発活動をする私の土台になっています。

今日は、そんな伝承を含めた記憶との向き合い方の話です。

「熊本地震 記憶の廻廊」の取り組み

熊本県は、熊本地震からの復興の柱として震災ミュージアムの実現に向けて取り組んでいます。

この文章が現在進行形である理由には、後ほど触れます。

震災ミュージアムの主なコンセプトは次の3つです。

  • 熊本地震の経験や教訓を学び、風化させず確実に後世に伝承する
  • 今後の大規模自然災害に向けた防災対応の強化を図る
  • 熊本の自然特性を学び、改めて自然を畏れ、郷土を愛する心を育む

その上で熊本県は、このミュージアムを「熊本地震 記憶の回廊」と名付けて、次のように説明しています。

「熊本地震 記憶の廻廊」は、熊本地震の記憶を未来へ遺し学ぶ回廊型フィールドミュージアムです。

ミュージアムという呼称は施設や建造物を想起させやすいですが、このミュージアムは回廊型であり、かつフィールド型である、という特徴を持っています。

具体的には、9の市町村にある18の震災遺構と拠点(本記事執筆の2025年3月時点)で構成されています。

なお「廻廊」と「回廊」の用語の使い分け(名称には前者を、説明には後者を使用)は、熊本県の公文書に準ずるものです。

震災ミュージアムの形式に回廊・フィールド型を採用した理由は、「熊本地震震災ミュージアムのあり方検討有識者会議報告書」で次のように説明されています。

熊本地震の大きな特徴の一つは、約30kmにわたって断層が動き、その断層が地表に延々と現れた点であり、これは日本でほぼ一世紀ぶりに起きた極めて稀な出来事である。(中略)震災ミュージアムは、この特徴を生かし、広範囲にわたり出現した断層帯に沿って点在する震災遺構や学習のための拠点を連携させ、それらを巡る「回廊型の仕組み」とすることが望ましい。そのことにより、熊本県内の多くの地域で被災された県民の様々な思いもつなぐことができる。

2025年3月23日に実施された「くまもと防災士会」の研修ツアーは、この回廊型フィールドミュージアムの一部を巡るものでした。

復興構想原則にみる悔しさと覚悟

東日本大震災復興構想会議は、2011年5月10日に「復興構想7原則」を策定し公表しました。

その原則の1番目は次のとおりです。

原則1:
失われたおびただしい「いのち」への追悼と鎮魂こそ、私たち生き残った者にとって復興の起点である。この観点から、鎮魂の森やモニュメントを含め、大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する。

この文章には、
「災害の記憶との向き合い方が凝縮されている」
と感じました。

前段からは悔しさが、後段からは覚悟が伝わってきます。

それは、過去の大災害の記憶の風化を避けられなかったことへの悔しさであり、今般の記憶を
「二度と風化させはしない」
という覚悟なのだと思いました。

記憶の風化の要因は次のように分析されています。

  • 別の災害など新しい出来事が生じると、古い事柄への関心が薄れるから
  • 被災者には拒否意識があり、積極的に忘却しようとしているから

記憶の風化はヒトの性(さが)によるものであり、意図して取り組まねば避けられない“自然現象”です。

「熊本地震 記憶の廻廊」における熊本県の取り組みは土台には、この記憶との向き合い方があるといえます。

進化し続けるミュージアム

被災者が震災のことを語る機会と語りの内容の変化の有無をトークイベントとパネル展示の影響に着目して考察した研究があります。

実施時期は2022年。

発災から7年が経過し、記憶の風化が懸念されている熊本地震の被災地域で行われました。

考察の詳細は原典を参照していただくとして、本記事では、そのエッセンスだけを借用します。

考察によって得られた知見は、次のとおりでした(その一部を要約して引用します)。

  • 災害アーカイブ展は、災害経験を振り返り語る機会を提供する。
  • 話題の中には、時間の経過とともに語れるようになるものがある。
  • 災害アーカイブ展では、発災時だけでなく復旧・復興過程も語られる。
  • ゆえに災害アーカイブ展は、新たなアーカイブ資料の構築のきっかけとなり得る。
  • 他人の災害経験を聞きながら自らの体験を振り返ることで、災害全体を見渡す視座が得られる。
  • 一方で、災害経験を直視できない人は未だ存在し、心のケアが必要な児童や生徒もいる。
  • 被災地域で開催するアーカイブ展は、テーマや展示内容など住民への配慮や工夫が不可欠である。

これらの知見から、継続と更新という記憶との向き合い方が見えてきます。

「熊本地震 記憶の廻廊」には、「進化し続ける震災ミュージアム」といういわば第4のコンセプトがあります。

中核拠点の1つである「KIOKU」には、復旧活動に従事した消防団員が当時作成した地図が展示されていますが、本研究のトークイベントをきっかけに発見された(当人が見せてくれた)ものだそうです。

進化し続ける震災ミュージアムに完成はなく、ゆえに現在進行形なのです。

記憶の風化は避けられない。

されど、ある面での風化を受け入れつつ、接触を継続すれば、積極的に更新もできる。

したいのは、守ることではなく活かすことだと思います。

◇今日の気づき

接触を継続すれば、積極的に更新もできる
したいのは、守ることではなく活かすこと

◇引用・参考文献一覧

熊本県「熊本地震 震災ミュージアム『記憶の廻廊』」
https://kumamotojishin-museum.com/

熊本地震震災ミュージアムのあり方検討有識者会議(2017年9月)「熊本地震震災ミュージアムのあり方検討有識者会議報告書」
https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/15271.pdf

坂井華海,矢ヶ井那津,田中尚人,竹内裕希子(2025)「災害アーカイブ展トークイベントを契機とした被災者の振り返りに関する考察」自然災害科学152 Vol.43,No.4
https://www.jsnds.org/ssk/ssk_43_4_775.pdf

東日本大震災復興構想会議(2011年5月10日)「復興構想7原則」
https://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou4/7gensoku.pdf

◇編集後記

歴史上の人物がNHKなどのテレビ番組で話題に上がる時、「さん」などの敬称を付けないことがよくあります。

先日、ある近現代の偉人が同様の扱いを受けているのを見て、
「これって、(没後何年などの)基準があるのだろうか」
と気になり、調べてみました。

基準は……ありませんでした。

NHK放送文化研究所が次のように解説しています。

明確な基準はありませんが、生前のことをリアルタイムで知っている、つまり、その人が活躍する姿が人々の記憶に残っている場合は、「さん」を使うことも多いようです。

なるほどね。

でもこれって、世代によっても変わるだろうなぁ。

試みに、昭和50年生まれの私目線で、歴代首相について考えてみました。

「さん」を

  • 付けると違和感:大平正芳以前
  • 付けないと違和感:鈴木善幸(さん)以降

という結果でした。
(全く私の主観です)

なお、NHK放送文化研究所は次のようにも言っています。

一方で、その人の業績に注目し、客観的に伝える場面では、存命中の人でも、あえて「さん」を付けない場合もあります。

たしかにね。

いやはや言葉と感覚は奥が深い。

◇この文章の入口(参考)

出来事や制度(右下)と、整理された知見(右上)から、意味がほどける場所(左上)へ


この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面に立ち戻る中で書かれています。

この文章を読んで、

話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感

が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。

そのための場所を、別に置いています。

結論の前に