メールマガジンとして配信された文章)

おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。

昨年の夏から、動画配信サービスでアニメを観ることが息抜き的な趣味の1つになりました。

最近観たある作品の台詞を通して、印象的な言葉を知りました。

今日のコンテンツは、特性・欠点・才能、です。

「欠点とは、まだ使い途の見つかってない才能である、って言葉知ってるか? おまえのその面倒くさい性格も、いつか花咲かせる日が来るかもよ」

『君は放課後インソムニア』というアニメの中で、部活動の顧問教諭が主人公の高校生に向けて掛ける台詞です。

欠点とは、まだ使い途の見つかっていない才能である。

心に響く言葉でした。

調べたところ、斎藤一人さんの著書『世界一ものスゴい成功法則』の章立ての1つに、「欠点とは、使い道のわからない才能」がありました。

というわけで、おそらく台詞の主は、これを出典として教え子に語り掛けているもの、と想像できます。

私としては、原典よりもいわば二次創作である「君ソム」のこの台詞の方が、よりしっくりくる感じがして、好きです。

欠点とは、まだ使い途の見つかっていない才能である。

まあまあ面倒くさいヤツ

最近より深く気づいた自分の特性の1つに、
「物事を理解したい、という強い欲求」
があります。

深く気づいた、という部分をより正確に言えば、
「(この特性を)才能のようなものとして、使っていたこと」
に気づいた、ということです。

物事を理解したいという欲求は、幼い頃から、私にとってはごく自然なものでした。

それがゆえに、この特性がいわゆる標準からは
「大きく偏差している」
と気づくまでには、長い長い時間が必要でした。

面倒くさいとか嫌だとか、この特性を私自身が持て余すということはそれほど多くはなく、どちらかというと愛着のある特徴でした。

私が1人で、その欲求を満たすべく行動している分には特に問題は起きなかったからでした。

しかし、他者とのコミュニケーションの場面では、1人の時とは事情が異なりました。

私が、自分のこの欲求のままに行動することで、その場にいる他者が困惑したり、疲れてしまったりすることが、おそらく数多くあったろうと思います。

書きぶりが推量的であるのは、当時の私にその自覚がなく、ゆえに周りの他者の反応を今ほどの客観性では観察できておらず、したがって、明確な記憶が存在していないからです。

平たくいえば、自分自身で面倒くさいとは思っていない分、傍から見たら余計に
「まあまあ面倒くさいヤツ」
だったわけです。

気づいたら、使っていた

使い途がない、という意味では、
「物事を理解したいという強い欲求」
は、かつての私においては欠点の条件に当てはまっていたことになります。

そして、周りからすればやはり欠点に見えたようで、家族をはじめとする少なからぬ人から、
「難しく考えすぎだ」
「もっと気楽に考えた方がよい」
などの助言をもらい受けました。

これらの助言が良かれと思ってのものだと、今の私なら理解できます。

しかし、当時の私は抵抗する気持ちの方が強かったのでしょう。

苦々しく感じていた記憶が、ぼんやりと思い出されます。

ゆえに当時の私には、
「まだ使い途の見つかっていない才能」
などとは思えることは、(勉強が得意であることを除いては)期待しようもないことでした。

時は流れ、私の心に変化が起きました。

このメルマガでも書いてきたとおり、私は、知らなかった自分のことを知り、自分の特性を肯定的に受け止めることが少しずつできるようになっていきました。

さらに時は流れ、起業して本格的に事業をスタートさせてから間もなく1年。

私は自分の個性を活かした仕事を請われて行い、報酬を得られるようになり始めました。

前章の冒頭の気づきは、この変化がきっかけで得られたものでした。

現在私は、チームや組織に入って情報やコミュニケーションの交通整理を行っています。

やや鼻につく言い方にはなりますが、この交通整理は、自分にとっては“出来て当然”のことでした。

だからこそ自信がなかった。

特別なことだとは思えない分、それに価値があると確信が持てなかったのです。

「お金を払うからやってほしい」

特に売り込んだわけでもないのに、私に価値を感じてくれた人が、こう言って仕事を依頼してくれました。

ここに至ってようやく、
「仕事として成立するかもしれない」
とほのかな自信を持てました。

そして、現場で経験を重ねるうちに、気がついたのです。

私がこれ(交通整理)をできているのは、物事を理解したいという欲求がとんでもなく強いからではないだろうか、と。

そして、蓋をすることなくこの欲求のあるがままに、“理解する”という生きがいをただひたらに続けてきた。

その結果、この能力がおそらく伸びまくったのではないか、と。

ついに私は、この特性を才能のようなもの、として使っていたこと気づきました。

少なくとも、もう欠点ではなくなりました。

使い途をAIで探る

欠点とは、まだ使い途の見つかっていない才能である。

これは言い換えれば、全ての特性は才能であり使い途が必ずある、ということです。

起業してから、自分の特性を診断してもらうセッションをいくつか受けたことがあります。

いずれのセッションでも診断結果は(当然に)概ね共通するわけですが、
特性を強弱で表現した場合、弱く出る(強くは出ない)特性として、私においては次のものがよく該当します。

  • 共感(感情を読み取れない/取らない)
  • 信念(譲れないもの、が特にはない)
  • 楽しさ(楽しさが動機にならない)

で、このたび、この言葉――欠点とは、まだ使い途の見つかっていない才能である――を知った私は、これらの使い途を探ってみようと思ったわけです。

そして2025年6月3日現在、この手の作業にその力を遺憾なく発揮してくれるのが、生成AIです。

早速私の特性を入力し、その使い途を考えてもらったところ、次のような助言を得ることができました。

■ 1)共感(感情を読み取れない/取らない)

感情に巻き込まれにくい。

「冷たい」のではなく、「安定した観察者」であることができる。

「今この言い方だとどう受け止められるか」
をロジックで想定する。

「この人はどうされたいと思っているか」
を仮説として捉え、試しながら関係性をつくる。

感情の起伏が強くないからこそ、関係をブレずに整えることができる。

■ 2)信念(譲れないもの、が特にはない)

自己ルールが少なく、柔軟ということ。

「判断基準がない」のではなく、「複数の視点で判断する」ことができる。

プロジェクトの初期に
「今回は何を大事にするか」
をチームで対話し、それを旗印に進行を設計することができる。

「誰かの正しさを否定しない」
「全体に合う軸を後から作る」
が、私の自然体。

固定観念に縛られない分、より多様な人と協働できる。

■ 3)楽しさ(楽しさが動機にならない)

楽しさが「感情の起点」ではなく、「理由が腑に落ちた結果として、後から湧いてくる感情」として現れる。

楽しさが安心ととも後からにやってくる。

「誰かの楽しさ」を冷静にデザインし、意識的に演出できる。

ブレない安心感やジワっと楽しい場を生み出す力となり、安心感・安定感のある存在として映りやすい。

さすがChatGPT、頼りになります。

自分との距離を適度に取れるようになると、益々面白くなりますね。

あ、これが
「理由が腑に落ちて、後から楽しさがジワッと湧いくる」
ってことか。

◇今日の気づき

欠点とはまだ使い途の見つかってない才能
全ての特性は才能であり使い途が必ずある

◇この文章の入口(参考)

関係性の違和感(左下)から、意味(左上)へ


この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面に立ち戻る中で書かれています。

この文章を読んで、

話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感

が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。

そのための場所を、別に置いています。

結論の前に