メールマガジンとして配信された文章)

おはようございます。ラピシュットの長谷川高士です。

最近、よく頭を巡るフレーズがあります。

「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」

今日のコンテンツは、わからない、ということ、です。

「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」

これは、ドラマの主人公の台詞です。

NHKのドラマ「テミスの不確かな法廷」は、次のような物語です。

任官七年目の裁判官・安堂清春(松山ケンイチ)。東京から前橋地方裁判所第一支部へと異動してきた彼は、一見、穏やかな裁判官に見える。
だが、その内側には絶対に打ち明けられない秘密が…。
幼い頃、衝動性や落ち着きのなさからASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)と診断された安堂。
彼は自らの特性を隠し、自分の考える“普通”を装って生きてきた。
それでも、ふとした言動が前橋地裁第一支部の面々を戸惑わせ、法廷内外で混乱を巻き起こしてしまう。

主人公である安堂は、劇中で冒頭の台詞をしばしば口にします。

「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」

このフレーズが、最近よく頭を巡ります。

わからないことが増える

NHKの話が続きますが、「3か月でマスターするアインシュタイン」という全12回の番組をNHKオンデマンドで一気見しました。

相対性理論をはじめとする人類の知の到達点を、ゆっくり噛み砕くように1つずつ辿っていく、知的エンターテインメントです。

その12回目、つまり最終回で語られていたことが印象に残っています。

科学の研究が進めば進むほど、わからないことが減るどころか、むしろ、わからないことが増えていく――。

概ね、こんなやりとりでした。

理解が深まれば深まるほど、その周辺に新しい「わからなさ」が次々と立ち上がってくる。

知るとは地図を完成させることではなく、地図の外縁を少しずつ押し広げていくことなのかもしれません。

その意味で、わからないことが増えることはワクワクすることだ、と感じられました。

わからなくなることの面白さ

宮沢章夫の著作に「わからなくなってきました」というタイトルのエッセイがあります。

プロ野球の実況を題材にした、少し可笑しみのある文章です。

たとえば、こんな場面。

8点差で負けていたチームが、9回裏に一気に3点差にまで追いついた。

2アウトながらなおも満塁で、打席に向かうは今日絶好調の3番打者。

球場の空気が一気に張りつめる中で、実況アナウンサーが決まって口にするあの台詞。

「わからなくなってきました!」

宮沢は、その決まり文句を軽やかに揶揄しています。

本作における宮沢の視点からはやや外れますが、この時の「わからなくなっている心理」の一部は“面白み”でできている、と私には感じられます。

見えかけていた勝敗の行方が、急に霧の中に入る。

その瞬間、不安と同時に期待や高揚感も同時に立ち上がる。

わからなくなるということは、必ずしも困ることやつまずくことだけではなく、むしろ、物語が動き出す合図でもある。

わからなくなると、やっぱりワクワクするのです。

わからなかったら……

一方で、仕事の現場では、こんな言葉をよく耳にします。

「わからなかったら、聞いてください」

正しい言葉だと思います。

優しさも配慮もそこには含まれています。

ところが現実には、その言葉が発せられた後に質問が出てこないことの方が多い。

沈黙が流れる。
話はそのまま次に進んでいく。

その光景を前にして、私はときどきこう思います。

もしかすると、わからないことが「わからないもの」としてまだ立ち上がってないのかもしれない、と。

わからないことを尋ねる。

これができるためには、その手前に1つの段階が必要です。

それは
「わからないことをわかっている」
という段階です。

この「わからないことをわかっている」は、さらに次の2つに分けることができます。

  1. 「わからない」という状態そのものを(どんな感じなのか)わかっている
  2. 何についてわからないのかをわかっている

この2つが揃ったとき、質問としてようやく外に出せるのです。

ただし、1)と 2)は必ずしも明確に言語化できているとは限らず、またその必要もありません。

輪郭のない違和感。
言葉にならない引っかかり。
あるいは腑に落ちていない感じ。

そうしたものが、自分の中に立ち上がっている。

この「わからなさの手前」を扱えるかどうか。

これが、実はかなり大きいのではないか、と感じています。

わからなさを置く場所

「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」

これは、立ち止まるきっかけとなり得る言葉です。

わからないものを一旦置いておける余地。

その余地に、わからなさを置いてみる。

急いで片づけずに、すぐに答えに変えずに、わからないままで置いてみる。

このとき、少しでもワクワクが立ち上がるのなら、きっとまだ物語は動いている。

私は、そう思っています。

◇今日の気づき

わからないことが増えると、ワクワクする
わからなくなると、やっぱりワクワクする

◇引用・参考文献一覧

NHK「テミスの不確かな法廷」
https://www.nhk.jp/g/ts/32VWPKM6NX/

NHK「3か月でマスターするアインシュタイン」
https://www.web.nhk/tv/an/3months-einstein/pl/series-tep-X4WM33QJPG

宮沢章夫(2000年1月1日)「わからなくなってきました」(新潮社)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002854392

◇この文章の入口(参考)

違和感や引っかかり(左下)から、意味がほどける場(左上)へ


この文章は、
判断や結論に入る手前の、話の地面に立ち戻る中で書かれています。

この文章を読んで、

話が噛み合わない感触や結論に入る前の違和感

が残るときは、それを急いで解消しなくても構いません。

そのための場所を、別に置いています。

結論の前に